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東日本大震災

以前、狗さんのブログでも取り上げていただいたのですが、僕は宮城県民です。

このブログを始めてからはずっと楽しく書いてきたのですが、

アスブロランキングに参加させていただいていて、アクセスもそこそこ増えてきたし

そろそろ気持ちの整理もついたので東日本大震災について少しだけ記憶を甦らせたいと思います。

最初にっておきますが僕の住んでいる場所は内陸部なので津波の被害は関係ありません。

よく勘違いされますが…宮城の各市町村がすべて海に面しているわけではないので。

続きから、お願いします。

あの日。

3月11日金曜日。

僕は前日に夜更かしをして、恥ずかしながらその時間まで寝ていました。

目を覚ますと耳元でなっている不快な音。

緊急地震速報が鳴り響いて、姉が僕を起こしました。

仕方なく布団から出てみると揺れ始め。

一気に強くなり、家の中にあるありとあらゆるものは倒れ、

食器棚の扉開き、割れる音が鳴り響く中、唯一僕と姉が退避したソファの上だけが安全な場所でした。

長い揺れの中、1分以上でしょうか。僕は何かが終わったような揺れがおさまるのをひたすら待ちました。

震度は7。

振りかえると…。

1.jpg

僕の寝ていた所はタンス、枕にはブラウン管の大きいテレビが落ちていて、

布団は完全に見えなくなっていました。今思えば緊急地震速報が無かったら頭がカチ割れて膝を骨折してたかもね。



家、水道、ガス、電気。

何一つない寒い中

当日は親の車の中で寝泊りをしました。

水道は2日目 ガスは3日目 電気は10日目くらいに復帰して、大したことないと思うかもしれませんが。

最初の1日目2日目は、食べ物もほとんどなく、とても寒い中、胃の中が凍りそうになりながらも飲み物とソーセージなどの調理しなくてもよい食料で過ごしました。

寒さと空腹と恐怖で短い時間でもかなりつらかった。

ケータイはギリギリ残った充電で安否確認のメールなどをしてました。
心配のメールをくれた方もいました。ほんとうにありがとう。

温かいご飯を食べれるようになったとき、ごはんって温かいんだなって意識するようになりました。

その後の話は細かい事なのでここではしません。
気になる方はきいてくださっても結構です。


◆忘れてはならない記憶◆

僕の通学路は約2㌔です。
学校からそんなに遠くないんですが。
僕の住んでる地区には古い建物が多い。
2.jpg
1階がつぶれて消えた建物達。


4.jpg
駅前の建物です。こちらも1回が消えてなくなったもの。
この建物だけ2ヶ月たった今も解体作業は行われていません。
未だに道路に建物の残骸が散らばってます。



5.jpg


6.jpg

7.jpg
この3枚の紙は赤紙 黄色紙 青紙と呼ばれていて、
赤が危険
黄色が要注意
青が安全を示しています。


CIMG4038.jpg
1ヶ月たったある日のジャスコ
2階へは行けません。




CIMG4039.jpg
1ヶ月たった日のあるコンビニ
1ヶ月たっても何も置いていません。




CIMG4040.jpg




CIMG4041.jpg
天井に穴が開いたスーパー。
壊れてしまったのでしょうか。


◆携帯の写真◆
F1000213.jpg
こちらも1階がつぶれた建物。
ここは建物と建物の間に道があったのですが。

F1000214.jpg
ベランダが崩れ落ちたアパート。
左が赤紙、右が黄色紙でした。


F1000216.jpg
倒れた薄型のテレビ。
バイト先のものです。テレビ壊れた人は多いみたいですが、震災の場合保険が効かないみたいです。



◆2ヶ月後の今◆
2.jpg

CIMG4022.jpg
この写真は先ほどの写真の2ヶ月後の写真です。

今では赤紙はほとんどなくなりました。




ほとんど解体されているからです。


僕の通学路は2㌔と言いましたが、

2㌔の中で22軒の家は現在解体中、もしくはもう解体されて残っていません。


もっと言葉で説明したいのですが、今回は写真をほとんど載せたので、気が向いたら震災について話したいと思います。


◆うまくまとまらないなぁ…◆
みんな知らないけどまだまだ知ってほしい事は沢山ある。

ただ今言えるのは、僕は生きてる。

だから伝えなきゃない。


師匠の実家が石巻なのですが、師匠の知人は実際に津波を目で見たらしい。

「たすけて」と流されながら叫ぶ子どもの声が聞きながら、

津波に飲み込まれていない人を逃がすので精一杯だったそうだ。

津波に飲み込まれた瞬間の恐怖は一瞬だったんだろうか。
その人生を終わらせた恐怖はいったいどれほどの大きさだったのだろうか。


僕は津波の事を伝える事は出来ないが、

この地震の震源地の近くで被害にあった。

だから伝えれる事は伝えたい。忘れないでほしいし、忘れたくない。忘れてはいけないと思う。

うまくまとまらないけど、また時間があればゆっくり書きます。
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